「白昼夢」







――――「それでもお前と居た時間は幸せだった・・・。」

振り返った瞳がそう言っているようで・・・、それが私の思い込みにしろ何にしろ、そんな言葉は聞きたくはなかった。

まだ濡れた唇、残る香水の匂い。
25年間自分に吐き続けて来た嘘が壊れていくのを自覚する。

ただあの青が欲しかった、底知れぬ深い青、青、青。
たとえそれが決して自分には向けられなくても、悲しみに彩られていようと、騙した無垢の色であろうと、どうでもよかった。
それが自分の手の内にあるという、それだけで良いと思っていた。
なのに今、それ以上その焦がれたはずの青を見ていられなくて、弱い私の心は目を伏せた。
私らしくも無く、普段なら美しい嘘でそんなものいとも容易く包み込めるものを、何故だかかけるべき言葉も浮かんでこなくて、なんとか彼の方を見ようとするけれど、ただひたすらに目蓋が重かった。

扉の閉まる音がする。
なんとも無機質で渇いた音だと思った。



  今更何を思うのか?
  ただ全てが在るべき場所に戻っただけだというのに。
  欠けてたパズルが見つかって全ての間違いを修正するように、それはいとも呆気無かった。




誰も居なくなった室内は酷く広くて落ち着かない、窓に打ち付けるザアザアという雨音だけがやけに大きく鼓膜に響いた。
そうしてただ硬く閉じられた扉を見ているだけだった。
さっき閉じられたきりきっと二度と開かれる事の無い扉を、飽きもせずに。
それでもそうしていると時折、網膜に焼きついた金糸の髪の踊る様がまるで残像のように鮮やかにチラついたりする。
その度はっと我に帰り、最後にはやはり閉ざされたままの扉を見つけるのだった。






――――始まりは何だったろう?


そう・・・あれは、終わりの始まりの日だった。

愛する者を、自分の一部さえも失った貴方は、傷つき、水に落ちた、緩やかに死を待つ蝶の様だった。
最初の其れは多分どうしようもない悲しみから来る同情で、せめて貴方を傷つける全ての物から真綿で包んで守ってあげたかった、彼の代わりにはなれないけれど、せめて傍にいてやりたいと願った。

そして其れまでの私達の世界が遂に全て崩れ去った日、私が全てを失って、貴方が救いを無くした日。
最初私の胸でくず折れ、声無き悲鳴を上げる貴方を見ても、暫くは理解できなかった。
貴方の隻眼から止めどなく溢れ出す涙・・・、私とはまるで違う、あの人と同じ、綺麗な透き通った青い瞳、一つになってもなお美しい、焦がれ続けたその色で、貴方は泣いたのだ。
それはこんなにも全てが違うのに全く私と同じものだった、余りにも私と同じだった。
それを見た時初めて何が起こったかを悟った、そしてもう帰ってこない全てのものを感じた。
後はもう、ただ涙が溢れ出て、全ての感情と一緒に止めどなく溢れた、貴方と同じ涙が。


 そうしてお互い空っぽになって、残された時。
 私は初めて、あの人の弟でなく、友人でもなく、一人の人間として貴方を見た。
 たぶん其れは貴方もおなじだったはず・・・。


外は厚い雲が垂れ込めて、黄昏時の色彩を奪っていた、まるで私達から奪われたものを顕すかのように。
窓の外を低く千切れた雲が音も無く流れていく間、
頼りなく色づいた部屋にあるのは互いの呼吸の音と鼓動だけで。
その音は細い倍音になってお互いの心の中に入っていき、そしてどちらともなく口付けを交わし、掻き抱いて、求め合って、触れ合って、熱を感じて、互いの名前を呼び合って、果てて、沈み込む。
そうして互いに全てを知って、心を曝け出して、これから生きていく世界に誓いを捧げた。
二人だけの世界、後ろ手に結ばれた名も無い絆で、例え全てを欺いても、貴方だけには真実を。

だけれど私達は臆病で、悲しいくらいに似ていたから、
きっと其れが言葉に出来なかった、言ってしまえばそれは過去への仇になるような気がして、互いの瞳の色はわかるのに、心の内は分かるのに。
「愛しています」なんて言葉は微笑みながら、囁きながら、睦言でだって言えてしまえるのに。
唯その言葉を口にするのが酷く、怖かったんです。
だから私は自分に嘘をついた、貴方にではなく、・・・私自身をを欺いた。

それでもあの25年の時は、密やかな贖罪の日々は確かにそこにあった。
二人の間に流れていたものは幻なんかじゃなく、感じあった時間は確実に二人のものだった。







そして突然に、余りにも唐突に奪われた時間が回りだす。
あの噎せ返る熱気と甘やかな香り漂う原始の森で。
まるであの25年なんて無かったかのように、彼は微笑んで見せる、昔のままに。
彼が貴方に見せる演技も何もかも全てが見通せる、当り前だ25年間同じ人を思い傍らに居続けたのだから。
そうして彼は全てを照らし出す、その強い光で、私達が隠背負った罪も、密かな絆も・・・。
止まった時が動きだす。





――――そう、まるで全ては白昼夢であったかのように





はぜる体、ひずむ背中、流れ落ちる髪、開いた唇、切ない呼びかけ、涙する瞳、贖罪の言葉、
そして最後の口付け・・・。

ドアの閉まる音と、重ねた嘘が剥がれ落ちる音とが重なって聞こえた。




サービス
サービス
私は祈る、貴方の幸福を
泣き笑いする声を
貴方が生きていける未来を
だから貴方にあの言葉を
愚かで浅はかだった私の本当の言葉を
今はもう届かない
そっと私一人でだけれど


「サービス永久に私と・・・――――――」








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