「逝く夏の歌」









私を忘れないで―――




この100年・・・正確にいうと104年と3ヶ月。
女を抱いていない。無論、男も。
欲がそもそも起こらない。
これが人間でなくなるということなのか。それとも――――




私を忘れないで、ドクター。
ジャンはこれからの永遠を生きる為に、きっと私を忘れなくてはいけないから。
貴方は―――私のことを忘れないでいて。




それはきっと、サービスの生身の部分の最後の悲鳴だったのだろう。




違いますよ、サービス。
覚えていたって、生きていける。
現に私は生きている。
貴方を変わらず―――こんなにも思っていても、私は生きている。




その頃にはもう、サービスはこの世の生き物とはかけ離れたような美しさをしていた。

高松は神話を知らないが、最も美しいといわれるギリシアの神々でさえこうは美しくなかったろう。生きているのが不思議なくらい、透き通るように、美しかった。




アイツはただ、逃げたんです。
惰弱な男だ。
貴方からただ、目を背けたんですよ。




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ジャンの目を盗むようにして、ごくたまにサービスは高松のもとを訪れる。

最近は訪ねたくらいで大変な騒ぎになることもなくなったようだ。

食欲がないというサービスに点滴をしたり、睡眠薬で仮眠をとらせたり。他愛もない、会話をするのがせいぜいだったが。



ジャンはそれを容認していた。
嫉妬に任せて乱暴を働くこともないと、サービスが言っていたし、そういう形跡もなかったから本当なのだろう。



気休め程度の点滴や仮眠でも、回復は出来るようだ。たいていは少し頬に赤みをとりもどして帰っていく。



その日は珍しくはやい時間にサービスが研究室にやってきた。

高松は昼食―――といっても助手に買ってこさせたサンドイッチを作業の傍らかじる程度だったが―――の最中だった。

「悪いね」

「いえ」

 サービスは「食べ終わってからでいいよ」と言うといつものように奥の仮眠室に入っていった。

 すぐに高松は、サービスに点滴をしてやる。今日は一段と顔色が悪かった。聞けばほとんど食事が喉を通らないのだという。
 ソファーに座ったサービスの身体は、また細くなったように見えた。




「ねぇ、高松」

最近は、喋り方も柔らかくなった。昔の突き放すような冷たさはなくなって、表情と同様柔和でさえあった。

「私のことを、忘れないで」

点滴を終えて、針をぬいている最中。

「どうしたんです、急に」

顔をあげる。サービスは目を閉じたまま、もう一度、「忘れないで、ほしいんだ」と繰り返した。




「ジャンはこれからも生き続けなければいけないから、私のことを忘れなくては生きていけないと思うんだ」

感情の起伏のない声だった。

「だから、御前には私のことを覚えていてほしかった」

「なにを馬鹿な。貴方のことを忘れられる人なんていやしないですよ。マジック様だって、ハーレムだって・・・総帥し かり、グンマ様しかり。貴方に関わった人全て、あの崇拝者たちだって、貴方のことは忘れない」

言いながら、しかし高松はもう笑い流すことが出来なかった。

こちらを見るサービスの目はとても―――真摯だった。




「ドクター」

高松は顔をあげることが出来なかった。

「抱いてくれ、ドクター」

滑らかな動きで、高松の首にサービスの腕がからむ。

欲情とか扇情とか、そういう言葉はあまりに似つかわしくない誘惑だった。
欲というには程遠い。もっと切ない―――

「出来ません、サービス。貴方が傷つく」

意味がわからなかったわけではない。

サービスが恐れているものを知っている。もう諦観の中に彼が在ることも知っている。

その上で尚、彼の人間としての剥き出しの心が叫んでいた。





「貴方が傷つくのは―――私もつらい」

ジャンとサービスの関係は、既に異常だった。高松のもとをサービスが訪ねたとき、ジャンは3日3晩彼を部屋に閉じ込め、もはや愛とはいえない情交を繰り返したのだ。
あのときのサービスの衰弱を思えば、今サービスに触れることは到底出来ない。




言いながら、高松はサービスの骨の目立つ背中を抱いた。

「忘れません」

高松は腕の力を、強めた。

「決して、忘れません。私の脳が全ての動きを止めるまでは決して」

もう、最後かもしれないという、絶望的な予感が頭を支配している。
この美しい人は、もう生きることを止めようとしているのかもしれないと、高松は思った。




「ありがとう」




言うと、サービスは身体を離した。

そうしてとても綺麗に、微笑んだ。




「私も、ドクターのことは忘れない」

頬にキスをして。




「さよなら。もう、ここには来ない」




サービスは立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとした。




空しいだけだとわかっていた。

彼を抱くことでつながる未来も愛情もないことなど知っていた。不毛なだけの行為だと。




それでも。




伸ばした手を止められなかった。
肩をつかみ、強く引き寄せ。

貪るようなキスを、止められなかった。



「ああ・・・・ドクター・・・・!」
「サービス・・・!」




「まだ・・・足りないんです、サービス。貴方をもっと見せて下さい・・・・決して、忘れないように・・・・」




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まだ
何も知らなかった頃。

世界がまだ、薄暗い色をしていた頃。

「 サービス!」

彼は眩しい太陽だった。

「やっぱわかんねーから教えてくれよ」

サービスはいつものように中庭の日陰で本を読んでいて。
大きな声で叫びながら、やってくる。

「 もう、テストの前日までやらないからそういうことになるんだろ。知らないね、辞書なら貸すよ」

「そう言わずに・・・・頼むよ、サービス。フランス語、得意だろ?」

「御前こそ。ジャンていうくらいなんだから、少しは――――」

不意に、サービスは首を傾げた。

「でも御前、このあいだジュリアンとフランス語で話してなかったか・・・・?」

「ああ・・・うーん、会話は、出来るんだ」

「じゃあ、文法だって、できるだろう」

「そのはずなんだけどなぁ・・・」

今思えば、不思議なこともたくさんあった。

でもその時は、一種の天才なのかとも思っていた。実際、彼の能力は全て常人離れしすぎていた。知能も決して低いわけではないのだ。

「しょうがないな・・・で、どこがわからないの?」

人懐こい笑顔とか、情けない顔だとか。そういう露な感情をぶつけられるのは決して不快ではなかったから。

確かにサービスは、彼に惹かれていた。




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激しい口づけから解放されて、サービスは自分から高松に抱きついた。からめるように、細くなった腕をまわして。

高松はその熱さに応えるようにきつく、サービスの身体を抱いた。

サービスも、その高松の腕に強さに応えるように、切ない吐息をもらした。

どうしてこんな風に―――なってしまったのだろう。




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「ジャンの母国語?・・・・そんなの本人にきけばいいじゃないですか」

「まぁ、そうなんだけど・・・・」

珍しく歯切れの悪いサービスの返答に、高松はまじまじとサービスの顔をみてしまった。

ルーザーの研究室へいくまでの、ほんの数分の会話だった。

「疑ってるんですか?」

「いや。もしそうだとしても・・・・ジャンでは兄さんは殺せないよ」

「まぁ、それはね。じゃあ鷹揚に構えてればいいじゃないですか。泳がせとけば、そのうち尻尾もつかめるでしょうし」

「高松も疑ってるのか?」

「そんなことはありませんよ。よしんばそうだったとしても、別に感慨もありませんが。ルーザー様に危害が及ばなければ、それで」

それきり、そんな話しはお互いしなかった。

忘れていたわけではなかった。でも、もうそんなことはどうでもいいと思えるくらい、もうサービスはジャンに惹かれていた。

まだ、それは恋ではなかったが。
そして―――それはいつしか、一生を支配する恋にかわった。
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ベッドにうつって、高松はまるではじめて触れるときのようにそっと、サービスの髪をなでた。

キスを落とす。
初心な少年のするような。

だが、肢にのびた掌に無骨さはなく。

優しい愛撫。身体ではなく、その疲れきった心を癒してやりたくて。




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一緒にすごす時間がただ、楽しかった。笑ったり騒いだり。彼といるときだけは、とても素直になれた。

逞しい身体に嫉妬もしたし、陰日向のない真っ直ぐな笑顔を羨んだりもした。

きっとサービスが彼に恋を抱いたのは、ジャンが自分をみる目に気づいたからだ。

その目線の意味は知っていた。ハーレムが―――双子の兄が自分をみるときの目と、同じだった。忌まわしいはずの行為を、もし彼に求められたら―――そう考えて、そのときはじめて自分が彼に恋をしてるのだと、気づいた。決して一生をともにすることは出来ないとわかっていたけれど。

「・・・サービス?どうした?」
「怖いんだ・・・これから起こること、全部」
「大丈夫だよ。俺がついてる・・・ずっと一緒にいよう」

「俺だって、不安だよ。でも―――例え一緒にいれなくても、俺は御前が好きだし、ずっと親友だよ」
「そうだな。俺も・・・ずっと」

別れの日も近づいて。そんなやりとりをしたのは、たしか最後のクリスマス。




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高松は何度もキスをしながら、優しい言葉をかけた。

器用な手の動きで確実に快感を与えながら、言葉を交わした。

その度にサービスは涙を流して、かすれる声で応えた。

すぐにサービスの冷たい身体は熱をもって、切なく先を促したが。

きっとそれは、苦痛さえも生きている実感だったから。

―――ジャンならきっと、この求めに応じるのだろう。狂おしく求めるサービスの声に、本当に求めるものにさえ気づかずに―――

高松は腕の中にサービスをおさめて、耳元になだめる為の言葉を囁く。

サービスはとても素直にその声をきいて、高松が与えるゆるやかな快感を受け容れた。



それはとても穏やかな、交わりだった。





「ドクター・・・」

せめて苦痛を与えぬようにと、時間をかけて身体を開かせた。侵入にサービスは少し眉を顰めたが、いつもよりも―――おそらくはジャンとの行為よりも、苦痛は少なかったようで、すぐに吐く息は熱くかわった。

浅くゆっくりと動くと、応じるように美しい肌は熱を持つ。




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忘れることなど、できるはずがない。
まだ覚えています。
100年経った、今でさえ。



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美しい額に汗がにじんだ。
それはまだ、彼が確かに生きている証であったし、抱きしめれば確かに肌の温みは伝わってきた。
たったそれだけのことに、高松は涙のこぼれそうな切なさを覚える。




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貴方の吐息も、肌に匂いも―――
美しい、肢体も。
瞳の色は、夢にだってみる。




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「私はまだ・・・・美しいだろうか」

なんども、最初の愛撫から何度も繰り返した言葉を、もう一度高松は繰り返す。

「ええ、とても――――綺麗です、サービス」

「ああ・・・」

動きにあわせて、白い肌が波打つ。

悩ましく身をくねらせてから、サービスは高松の肩にしがみついて、少しだけ笑んだ。

「出来れば、記憶の中では・・・・昔のままが、いい」

「昔・・・・・?」

「まだ私が、若かった頃・・・」

「今の方が綺麗です。今の貴方の方が・・・・ずっと」

そう言って、胸を弄る手に力を加え、肩口を舐ると短い声をあげる。

「ちがう・・・・まだ私の眼が・・・」

本当は、発する言葉の全てを受け止めてやるつもりだった。

だが高松はそのとき、乱暴にサービスの口を塞いでいた。

耐えられなかった。

あまりにも――――悲しくて。




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あの男は、目を背けたんです。
この世の全てからも―――貴方からも。
ただの弱者だった。それだけです。




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悔やんでいたのか。

いや、もう彼はその生の終わる瞬間まで全てを受け容れていた。

それでも尚―――

「思い出すのは、私の右眼がまだ在った頃―――」

そう言ったのは何故だったろう。

きっとあの頃はまだなにも知らず。




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だから、アイツが私に勝てるはずがないんですよ。
そう思いませんか?サービス。




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「ドクター・・・・もっと御前を・・・」

甘く、だが悲しい哀願。

高松は、もう余裕をなくして激しくサービスの身体を貪った。

美しい身体。サービスにとってジャンへの思いが一生を支配したように。高松にとっても、また―――




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あれから。

あれから、100余年。




なにもかもは、かわってしまった。

あの男も、変わってしまった。

彼を失ったときのあの男の狂態。馬鹿な、誰のせいだと・・・そう毒づいたのさえ、遥か昔のこと。ましてあの、まだ彼らの未来が輝くばかりの可能性に満ちていたあの頃など、遠すぎる過去だった。

高松にしても。

あの男にしても。




誰も抱かず、誰にも触れず。

欲がそもそもわかないのだ。抱きたいとか、手に入れたいとか。

だが。





目に浮かぶ、白い肌。

完璧な美貌。美しい、瞳。

それらの記憶だけが、高松の心を刺激する。




私を忘れないで、ドクター。
貴方は―――私のことを忘れないでいて。




全ての活動が終わるときまで。

己の宇宙の終わる日まで。

忘れない。




私を忘れないで、ドクター。
貴方は―――私のことを忘れないでいて。









Fin.








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