プリズム



土砂降りの雨。車寄せに佇み、水煙に滲むテールランプを見送っていると、
「…おじ様は、帰ったの?」
カーキの軍用コートが、汚らしい色に変じてしまっている。
「グンマ様!何で、連絡して下さらなかったんですか」
髪が貼り付いて、グンマ様の顔色すら、窺えない。ビシャリビシャリと、両足を運びながら、玄関ポーチを上がっていこうとする。
「今、拭くものをお持ちしますから」
「うん」
袖口を伝って、雨水が流れ落ちる。グンマ様の両手が、髪の毛を後ろに撫でつけると、その変調に、やっと気付いた。
唇に血が、目の下には、痣ができている。
「ど、どうしたんですか!?」
「いつものことサ。シンちゃんと喧嘩。それより、寒いよ〜」
血相を変える私に、差し当たっての窮状を訴えることで、巧みに話を逸らしてしまう。
「はいはい」
着衣はすべて、濡れ雑巾と化していたので、その場で脱いで頂いた。気化熱は体温を容赦なく奪い、グンマ様は指先が細かく震えて、ボタンを外すことが出来ない。
「お手伝いしますよ」
バスタオルで手早く拭ってやり、シャツは軽く絞って、バケツに放り込む。躊躇うことなく、泥の跳ね上がったズボンを脱がしにかかり、
「お湯をはってあるんで、すぐに温まって下さい」
グンマ様はちょっと身じろぎしたが、恥ずかしがっているんだと解釈して、
「照れるようなことですか、」
「…そうじゃなくて」
衝撃。内股には、擦ったような、血の痕があった。
「グンマ様、こ…れは」
「ボタン、掛け違えてるよ。らしくないね、高松」
大粒の涙が溢れ出し、そしてポロポロと零れた。
「高松。抱〜っこ」
白衣なんぞ、いくら汚れても構わない。乞われるまま、か細い体を抱き上げた。
「一緒、入ろう。まだだったんでしょ」
「…いえ、私は」
「分かってるんだよ、」
それこそ私らしく≠烽ネく、びくり、と全身に動揺が走った。
「サービスおじ様、来てると思ってサ。寄り道してたんだ」
濡れた瞳は、凄艶な光を帯び。それは、含羞を浮かべる、見慣れた眼差しとは異なって。
「失敗しちゃった。ヤキモチって恐いよね。シンちゃん、おじ様のこと、好きでしょ」
脱衣所でいったん下ろすが、伸ばされた腕に、するすると絡め取られてしまう。
「気付かなかった?ぼくだって、高松が大好きなんだよ?」
桃色の舌が、私を捕食するように、蠢く。…本当に、グンマ様なのだろうか。
滑らかな肌には、無数の鬱血と。そして裂傷。
「何が、あったんですか?」
滑稽なほどに、私の声は掠れていた。
「喧嘩だよ、ケ・ン・カ」
まるきり頓着せずに、グンマ様は浴槽に体を沈めると、
「雨、上がったよ。…夕焼け空に、ア、虹だ」
私は木偶のように、ただ突っ立って、不完全な虹を見上げていた。

「プリズムで、」
「はい」
「ぼくの心をバラしてみなよ。そしたら…多分、黒い虹色なんだ」
黒い、虹。
「嫉妬や、独占欲。…ぼくから高松を奪うなら、おじ様だって、許せない。殺してやりたいと思うヨ」
愛を囁くように、グンマ様はなおも続ける。
「ぜーんぶ、高松が欲しい、って気持ちに集約されるんだ」
誰も彼も、騙されてるんだよ。ぼくの笑顔にサ。
ああ、そこには。醜い欲望すら呑み込んだ、真っ白い、天使の微笑。






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