<リベラ>





わたしは知っている。あいつは、雷が嫌いだった。



全てが終わると、あれこれ分かれていた未来への道はあっさりと閉ざされていた。
振り返れば、自分の足跡のつく道は崩れて、選ばなかった方の道筋が光り輝いていた。
わたしは、自分が途方もない阿呆だと思った。
信じるべきものを見誤って、わたしはどれだけの好意や、愛情や、諸々の温かいものを裏切ってきたのだろう。
わたしは随分悩んだし、わたしが信じた憎むべきものを、わたしが裏切ったものがそうするように、憎もうとした。
だけれど感情を変換するにはわたしの歩んだ道は長すぎて、すぐにそう出来ない自分に腹が立った。
(それでもなお、信じたものに縋ろうとしている愚かものめ!)
わたしに少しでも好意的にしてくれる(それは裏返せば、否定的でもある。)人々は、わたしをポーカーフェイスとも評するが、元来わたしは決してそうではない。
わたしは悩めばすぐに動揺するし、顔色が変わるし、目つきも変わるし、多少長い時間わたしの傍にいる人間なら、それをすぐに見抜くことだろう。
長兄は、あの島で負った怪我を癒す間、ベッドで悩むわたしにすぐに気付いて、無理に自分を否定するなと呟いた。
憎しみは憎しみを探り当て、どんどん深みに引きずりこまれる。
そうするうちに、蟻地獄に捕われたように抜け出せなくなって、全てを憎んだ。
わたし以外のものが全て消え去った無の世界に行きたいと思った。(そしてそこについたなら、あまりの恐ろしさに、今度は運命までも呪ってしまうに違いなかった。)
そんなある時に、雷鳴が轟いたのだ。

幼い頃…とは言っても、わたし達がそれぞれ自我というものに目覚め(個性と呼ぶにはまだ曖昧ではあったが)、それぞれ一人前の“子ども”の自覚を持ち出して、結果お互いの部屋が分けられた頃だ。
その頃から、雷が鳴ると、時を同じくして生まれ、ほんの少しの差で兄になったあれは、真昼間でも、真夜中でも構わずわたしの部屋に来た。
大人びていると言われたわたし(大人びているように見せようとしていた哀れなわたし。)は、あいつが雷が嫌いだということを理解していたが、わざわざ指摘するほど依存していた兄弟ではなかったから、手持ち無沙汰にうろうろするそれを放っておいた。
雷がおさまれば勝手に出て行ったし、まぁそこはやはり知った顔であるから言葉は交わすものの、別に引き留めもしなかった。
学生時代は、わたしがよく部屋に友人を引き連れて遊んだり勉強したりとしていていたのに遠慮してか、そんな癖はぷつりと止んだので、すっかり忘れていた習性だった。
思い出したのは、何十年も経ってから久しぶりにそれを目の当たりにしたからだ。

わたしが、ごろごろと遠くで鳴り出した唸り声を認識した頃、ふらりとあいつは部屋に入ってきた。
相変わらずノックもなしに、なんの用があるわけでもなく、やって来た。手持ち無沙汰にうろうろと部屋の中を歩き回って、どうでもいいようなものにどうでもいいような感想を並べるのもそのままだった。
あまりもそのままだったので、わたしは5,6歳ほどの子どもに返ってしまったような気がした。(わたしのあの25年間は一般的な概念から言って流れていなかったも同然だったし、それもありえる話ではあった。)
わたしは一時期やつを目の仇にしていたので、5,6歳の子どもの頃のように流暢に会話するのが恐ろしかったが、精一杯の勇気を込めて、一言謝罪した。「…ごめん。」
それは、あいも変わらずお喋りなやつの喋くりを唐突に遮ってしまう結果にもなったのだが、わたしの謝罪は、相手の話を遮る効果としては、抜群だったと言えるだろう。
…この惰性で生きてきたような時間の中で、わたしが謝罪したことなど、数えるほどもないだろうから。
わたしは、お門違いの恨みで長い間、(きっと相手にしてみたらいわれのない罪だっただろうに。)憎しみをぶつけていたことを謝罪したのだ。
あいつは「やっとわかったか、この馬鹿。」とでも言うかと思ったし、「ざまーみろ、だから言っただろ!」と汚い言葉を投げつけてくるかとも思った。または、「気にしてねえよ、これからまたよろしくな」なんて歯の浮くような台詞を言われたらどうしようかとも思った。
だけれどわたしの予想はことごとく外れて、やつは、一瞬言葉を切ってわたしの声を反芻しただろうあとに、ぽつりと言っただけだった。

「…いや、別にいい。」

わたしは酷く拍子抜けした。その後またあいつはどうでもいいような話に戻ったし、わたしの謝罪などなかったことのように振舞っていたから。
きっと、真剣に取られていないのだ。わたしはそう思った。そういう土台を作ったのはわたしだし、わたしを恨みもした。軽口ばかりな兄を恨みもした。
あいつが散々好きなように喋って部屋を出て行ったのは、雷鳴が遠ざかった頃だった。

そうしてわたしはひとり取り残されたが、途端に、あまりの孤独に震えが生まれた。遠ざかったといっても、雷鳴はまだ鼓膜にこびりついていた。恐怖や寂しさに咽び泣いたぐらいだった。声を抑えきれずに嗚咽を漏らした時、先程出て行ったはずのあいつが、再び飛び込んできた。
わたしの残された目は赤くなって、あまり見れたものではなかっただろうが、それは相手に、わたしの感情を雄弁に語ったらしい。
やつはわたしと目が合うと、ほんの少し、目を細めたのだった。
その時やっと、どうしようもないわたしは、どうしようもない事実に気付いたのだった

雷に怯えていたのはわたし、わたしの方だった――


こんなことを言ったって誰も信じないし、わたしも誰かに主張しようとは思わないからあまり知られていない事実でもあるが、あいつは意外と手紙が好きである。
面倒くさがりやは健在であるから、本来なら直接会って話したいところなんだろうが、そう出来ないほど物理的距離が離れている時に、電話やメールという手段を使わずに、手紙を送ってくる。
面倒くさがりなら、何故そんなまめに手紙なんて書こうと思うのか、と聞いたことがあるが(書いて、切手を貼って、投函する手間は惜しくないのかと。)、はぐらかされて、結局曖昧なまま聞けなかった。
多分、面倒くさがりやではあるが、電話で話すのは気が引けるぐらいのシャイで、メールで済ますには気が引けるほどのロマンティストなのだと思う。
あの事件の後、わたしは彼を取り戻して、あいつはどこぞへか旅立ってしまったが、定期的に手紙をよこすようになった。手紙になると、普段の乱暴な言葉遣いが一転、妙に正しい文法に乗っ取った丁寧な文になるものだから、見る度に笑ってしまう。

わたしは一度、やつを憎んで、憎んで、裏切ったが、あいつは変わらなかった。
部屋が分かれる前と変わらずに、ずっとわたしを案じていた。
やつはわたしの兄弟で、家族であり続けた。多分、そうだった。
わたしが呼べば、すぐに振り向いた。
わたしは長い間、呼びかけなかった。
だけれど、やつは待っていてくれた。わたしが呼びかけるのを待っていた――


……と思うので、今度こちらの酒も一緒に送ろうと思う。都合が合うなら、一緒に飲もう。お前の友も呼んで。』

わたしは、手紙の最後まで目を通すと、それをテーブルの上に置いて、隣の棚の引き出しを開けた。
触発されて頻繁に筆を取るようになったせいで、便箋と封筒を常備するようになってしまった。
こんなことで感心しても仕方がないが、つくづく自分のペースに巻き込むのがうまい男だと思う。
そしてふと手を止めて、もう一度、最後の文を読み直した。…お前の友も呼んで。わたしは微笑んだ。
わたしも、努力をするよ。わたしを赦し、あの男を赦し、彼を赦し、全てを赦すよ。
それからわたしは考えた。手紙の書き出しや、締めの言葉が何が良いかなんて、どうでもいいようなことを悩むのが、楽しかった。



こちらではここのところ天気が悪くて、ごろごろと雷が鳴ってばかりいますが、そちらはどうですか?
もしもひとりでいるのが怖いようだったら、帰ってきても良いですよ。







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